私の人生の気ままな日記

ご覧頂きありがとうございます。これは、会社経営をしている彼をサポートする側としての日頃の思いを綴ろうと作ったものです。

当時の私

前回は、初めた当初の彼でしたが

今回は、当時のわたしを書きたいと思います!

 

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その当時、私は幼稚園で働いていて、始めて3年目の時に彼と出会った。

その時は、彼もまだ今の仕事は始めていなかった。

何していたのか思い出してみたがはっきりとは思い出せず。。笑

私は平日は仕事、土日は一緒にいたのだろうか?

きっと、彼は休学などを繰り返していた時期

だろうかと思う。

もう6年一緒にいると色々ありすぎで曖昧になる自分に驚く。

 

 

 

 

 

 

彼は正直、付き合ってすぐの頃はかなりの調子の良い人で自分の思い通りにならないとすぐに機嫌がわるくなっていた。わがままであった。揉めても自分を棚に上げているようにしか私には思えなかった。絶対に譲らない性格な為、私が折れる事がほとんどであった。

なので、理不尽な事も沢山あり何度も別れようかと思う事もあった。

今思えば、あの絶対に譲らない性格があるからこそ今の会社を作り出せたのかもしれない。

 

 

 

そうこうして付き合いながら月日が経ち私は、学年主任をしながら新人教育をしたり学年をまとめる立場になったりと教えてもらえていた立場から気付けば教える立場へと変わっていったのであった。

幼稚園は、体育会系であった為、基本的にはサバサバしていたのだがさすが女社会なかなか上手いこといかない事も多々あった。

先輩と揉めたり、板挟みにあったり、後輩の指導、トップと意見の言い合いなんてことはしょっちゅうであった。

そんななか、彼に会えるのは楽しみであったが彼を支えるという事は到底できておらず、会えば私が愚痴を言ったりと頼りっぱなしであったと思う。

彼は私の愚痴を会えば聞きながら自分の人生を模索していたのかと思うと申し訳ないと思う。

しかし、当時はそうは思えず常に頼ってばかりいたのだ。その為、わがままなところが多々あったようにも思う。時にはヒステリックになったりもしていた。そんな中でも自分の道を歩んでいた彼は凄いと思う。

 

それから付き合って3年後に今の仕事を思いつき、

始めたのである。

あの当時、彼は結婚という言葉をたまに使っていた。私はその言葉が出る度に期待し、心待ちにしていた。しかし、それが彼の今後の話を聞く度に一喜一憂していたの事をよく覚えている。今の仕事を始めた時に私は確信した。結婚は随分先になるだろうと。

 

当時の私はきっと今の生活なんて想像もできず、ただ自分の結婚が遠退いた事に一喜一憂し、時に攻めたりと色々と未熟なところが沢山あったように思う。

もちろん現在もまだまだだが、、、。

 

そして、この後私の人生が大きな転機を迎えるのであった。

 

 

この続きはまた今度。

今日はここまで。